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chataroが最も尊敬するギタリスト、ウリ・ジョン・ロートの軌跡を、思い入れたっぷりに紹介しちゃってみようかなと思う。
画像が無いと寂しいので、雑誌からお借りして掲載する。
でも著作権/肖像権の問題があるので微妙なところ・・・。
その筋の苦情が出たら削除するしかない。
ULI JON ROTH
FLY TO THE RAINBOW
ウリが参加して初めてのアルバム。
スコーピオンズとしては2枚目にあたるらしいんだけど、1枚目は日本では発売されたのかどうか、chataroは聴いてません。
レコード店で見たような記憶も有るけど・・・。
1枚目のギタリストは、あのマイケル・シェンカー。誰でも知ってるよね。
スコーピオンズがUFOの前座に出た時、引き抜かれた話は有名。
chataroがUFOを知ったのはスコーピオンズのずっと後。
従って、これを初めて聴いた頃はマイケル・シェンカーの存在すら知らなかった。後で大ブレイクしたけど・・・。
兄ルドルフはいかにもドイツ人らしい名前。
弟マイケルはドイツ語読みだとミヒャエルだそうな。ミヒャエル・シェンケル。
二人共、メイン・ギターがフライングVってのも珍しいよね。
兄弟でバンドやれるなんて羨ましいな。
兄弟バンドで思い付くのは、ヴァン・ヘイレン、スティクス、あと何だっけ?いっぱい羅列しようとしたけど出てこないぞ。老化現象か?
ウリの弟は、知る人ぞ知るあのジーノ・ロート(ギタリスト)。
フェア・ウォーニングの前身バンドZENOの中心人物。
さて、話をアルバムに戻してと、のっけからいきなり「グワーーン」とアーム・ダウンで始まる「スピーディーズ・カミング」。
ウリのギターはストラト・キャスター。マイケルのフライング・Vではこういう事できないでしょと言わんばかり。
まだ荒削りだけど、元気いっぱい。泣きのギターの「フライ・ピープル・フライ」等が有り、前任者のマイケルとウリの共作の「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」で締め。
凄いよね、なんつったってウリまだ19歳ですよ、あなた。なんでも13歳でギターを始めたらしいです。
スコーピオンズにウリ一人が加入した訳ではなく、ウリのバンド「ドーン・ロード」からの吸収合併らしいですな。
因みにchataroはこの頃フォーク少年で、スコーピオンズのスの字も知らなかった。
よってこれを初めて聴いたのは、ウリ加入後3枚目の「ヴァージン・キラー」の後。
1974年 ウリ・ジョン・ロート弱冠19歳と数ケ月。
1954年12月18日 旧西ドイツのデュッセルドルフ(ハノーバーという説も?)生まれ。長男。弟ジーノ・ロート。
IN TRANCE
1975年 ウリ20歳
chataroは当然これも「ヴァージン・キラー」の後に聴きました。
日本で発売されたのは、これが最初みたいです。
この中では、「イン・トランス」と「ライフス・ライク・ア・リバー」かな。
2曲共ロック・バラードです。
chataro実は、スコーピオンズは「ヴァージン・キラー」とベスト盤以外、アナログ盤しか持っていなくて、しかも実家に置いてるので今聴けない状態なんです。
早くCDで買い直さなくては・・・。
アルバム・ジャケットに写っているのがウリ愛用のストラトです。
アームは激しいアーミングですぐ折れてしまうため、困っていたところ、リッチー・ブラック・モアが太いのを使っているのを見て、友人に作って貰ったそうです。
78年の来日時のヤング・ギターのインタビューで、(止むを得ずマネはしたけど)「決してリッチーのファンでは無い」と強調してました。
同じクラシカルなタイプ、ストラト使用、しかも既にカリスマの域に近づきつつあるリッチーに対抗意識が有ったのでしょう。
後にスカイギターでスキャロップまでマネしてしまうあたり、良いものはこだわりなく取り入れるところchataroは好きです(笑)。
今聴き返すと、スコーピオンズってルドルフ・シェンカーの力強いサイド・ギターが耳に残りますね。
「スコーピオンズってやっぱりルドルフがリーダーなんだ」なんて妙に実感します。
ただしウリ作曲のナンバーに関しては、サイドもウリの演奏でしょうね。
VIRGIN KILLER
1976年 ウリ21歳。
スコーピオンズ4枚目、(ウリ在籍3作目)のアルバム。
chataroが初めてスコーピオンズに出会ったアルバムです。
当時NHK-FM(ラジオ)でアルバム丸々一枚かけちゃう番組が有って、ずいぶんエア・チェックさせて頂きました。
chataroもようやく洋楽に目覚め始めた頃で、グループ名がカッコ良かったので番組欄にチェックを入れ、録音しました。
いきなり「ピクチャード・ライフ」にノック・アウトされ、それまでディープ・パープルぐらいしか知らなかったので、「何これ、こっちの方がかっこいいだべ」(田舎者ですから)ということで、そのテープを聴き倒しました。
全部の曲が、シングル・カットされてもいい位で、スコーピオンズ初期の最大のヒットです。
哀しいのはアルバム・タイトル。日本でもそのまま使えばいいものを、「狂熱の蠍団」だって。だっさー(笑)。
映画でもそうだけど、ダサイ日本語のタイトルを付けて、作品のイメージをぶち壊してしまうこと、昔はよく有りましたよね。担当者のセンスを疑う。責任者出てこーい(怒)。
特にスコーピオンズはひどいよ。
他にも「復讐の蠍団」とか「暴虐の蠍団」とか・・・。
TAKEN BY FOECE
1977年 ウリ22歳。
ウリ在籍最後のスタジオ録音盤です。
これはやっぱり「ザ・セイルズ・オブ・カロン」でしょう。この曲に限っては邦題で通っていますね。「カロンの渡し守」。
当時、何回聴いてもどうやって弾いてるのか判らなかった。
ハーモニック・マイナー・スケールの嵐。
イングヴェイも、カバー曲ばかり演奏したアルバムでこれを取り上げています。
二人は後に雑誌の対談がきっかけで、同好の志としてお友達になったみたい。
chataroは当時、わずかのお金をケチって輸入盤を買ってしまった為、歌詞カードは無いわ、ライナー・ノーツは無いわで、後悔しました。以来輸入盤は買っていません。
最後の曲の終わりの方で、いきなり日本語の詩(女性の声)の朗読が始まった時は、びっくらコキました。
「なんで?、なんで?」。解説が付いてないので判りません。
あれって、後ろにも複数の声がだぶっているから、各国の言語で朗読してたんでしょうね。
つづく・・・。
1978年 4月 日本公演(中野サンプラザ)にて
ウリ、23歳
ライヴ・アルバム「TOKYO TAPES」は、次回更新まで待ってね!
Photo:masasi kuwamoto YOUNG GUITAR 1978